VOL.21    2008.03.05 『新銀行東京への増資について』

平成20年度の都議会第一定例会が開会されました。

今議会で一番大きな議題は、何といっても新銀行東京への400億の追加増資の件です。
経営難が悪化している新銀行東京に、都税を投入し、再建をはかるという趣旨で、補正予算が組まれました。
民主党としてはすぐに、産業労働局へのヒアリングをとりましたが、400億の増資の説明をしにきているのに、たかだか6枚ほどのペーパーで我々が納得すると考えているのでしょうか。
そうした疑問を感じつつも、単に担当部署である役所に質問を繰り返しても、再建策を考えている銀行側が説明に来なければ何の意味もないのではないかという思いも同時にわいて来ました。
そもそも民主党は、撤退を含めた見直しを考えるべきだと主張をしてまいりました。
「旧経営陣が悪く、任命権者である自分には何の責任もない」と責任転嫁も甚だしい知事の政治姿勢にも疑問を感じえません。
そもそも、公的機関が銀行業に手を出した事が間違いではなかったのかと思われるほどの、累積赤字です。
都民から集めた税金を銀行業に出資をする事自体が異例であるのに、説明責任がなされないままの追加増資には、おいそれと賛成することが出来ないのは自明の理であります。
昨年の予算特別委員会で、田中幹事長が石原知事に新銀行東京について質問しました。
その中でのくだりがまさしく今の状況に照らし合わせて的を得ています。
「余が実地経験して一番閉口しているのは、対人信用をもって抵当なくして、その人物を信用して金を貸すこととなし、銀行の貸付の一端はこの対人信用をもって営業すべきであると心得ているようであるが、これは大なる誤解である。
余をもって見るに、現今のわが社会は一般に銀行家をもって資本家と混同しているから、かくのごとき誤解を生ずるのではあるまいかと思う。
銀行家と資本家との別という事で、今さら改めていうまでもなく、元来、銀行というものは、人の技量や経験を信じてその人の計画に金を貸し出すものでなく、これをやるのはすなわち資本家に限っておるのである。
そもそも銀行家と資本家との区別はこういうところに存するのである。今もしその人の計画が失敗したらどうするか。
貸し金回収の道はあるまい。
人の金を預かって営業しているところの銀行が、これで立っていく道理がないではないか。
相手の知識、経験、人格を信じ、まずあれなら一つ仕事をやらせてみようというので、おのれの金を貸し、その人の仕事と、あるいは組合になり、あるいは利益の幾分なり配分し、その事業の危険を分かつのが資本家のなす仕事である。
すなわち対人信用ということは資本家のやることで、銀行家のすることではないのだ。
要するに、前述のとおり、資本家と銀行家を混同しているから、こういう誤解を生ずるのである。
 くどいようであるが、かかる場合には、銀行家は、その事業が失敗しても、その元金が確かに返るという見込みが確立せざる以上は、決して金を貸し出すべきものではないのである。」
これは、昭和恐慌を収束した高橋是清大蔵大臣の言葉ですがこれを引用して、いかに財産があり、評判がよくても、確固たる回収の見込みがなければ、銀行家は決して金を貸し出すべきものではない。
殊に、その人間が評判がよいとか、財産が多くあるなどという世評で金を貸すのは、決して商業銀行の本来の性質ではないと、言っているわけです。
ましてや、人の金を預かっているどころか、出資の金は強制的に集めた税金であります。
民間の企業では考えられないような事をやっているわけです。
今回の予算特別委員会を通じ、徹底的に議論していかなくてはなりません。
ozakidaisuke
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