VOL.18 2007.09.25 『安倍首相辞任から福田政権へ』
先々週に安倍首相が突然の辞任表明をし、昨日新たな自民党の新総裁に福田氏が選出をされました。
この間、国政は停滞し、首相の臨時代理もおかず、イギリスの新聞では「日本は首相がいなくてもやっていける」との揶揄的報道もされている状況を見て、改めてこの国の未来に不安を覚えた国民は多かったと推察します。
前代未聞と言われた安倍首相の電撃辞任。
岸首相の孫が無責任に政権を放り出し、吉田首相の孫と福田首相の息子がその後の政権争いを、「あまりにも陳腐な政治」と小説家の山崎豊子さんは喝破していましたが、封建時代の世襲制度を想起させるように極めて好ましくない状態が出来上がりつつあります。社会の身分状況が固定化し、流動性が鈍化するのは、社会の健康という点で危険であります。それが一国の首相の事ともなれば尚更のことです。
明治維新以来、日本が急速に発展した原動力となったのは、社会の階層間の流動性が高く、身分が固定化しなかったからです。
もちろん全ての世襲が悪だというわけではありませんが、安部首相の無責任さにはほとほとお坊ちゃん政治の色が強く、それに巻き込まれた国民はたまったものではものではありません。
「テロ特措法」の延長に私達の民主党代表の小沢代表が反対をしておりますが、そうした表明に対して、一部の報道では「民主党は国政を停滞させようとしている」「民主党の政権担当能力を問われる」などと論説しておりますが、今の自民党がやっている事こそ、国政の停滞ではないのでしょうか。
あり得ない事かもしれませんが、参議院選挙が終わった時点で、国民の審判が下った結果を受け、政権から下野をする決断をしていれば、間違いなく歴史に名を残した首相となれたでしょう。二大政党政治の発祥地であるイギリスでは、サッチャー、メージャー首相と、保守政権が続きそろそろ労働党に政権を交代しようという自浄作用が保守党の中から出てきます。
「そうしなければ日本のようになってしまう」といわれているようですが、果たして日本の自民党の政治家はこうした話をどう捉えているのでしょうか。
小泉政権の四年半で、会議保険料の引き上げを筆頭に、厚生年金・共済年金保険料の引き上げ、雇用保険料の引き上げ、老人医療費の改悪、サラリーマンの医療費3割負担、発泡酒・ワイン増税、たばこ税増税、所得税配偶者特別控除の廃止等、社会的弱者の負担を増やすものばかりが目立ちました。
その路線を踏襲するといった安倍首相の責任は重大です。
なのに機能性胃腸なにがしといった訳の分からない病名を持ち出し政権を投げだしてしまう。「内閣総理大臣の職務は激務だから」といった擁護する発言もありましたが、首相が激務なのは当たり前なんです。国民の生命とこの国の未来をその肩に背負い込んで国際社会の中で勝負をしていくのが内閣総理大臣の職責であります。
それを「お腹が痛い」の一言で辞めてしまう。
今の女子高校生の間では、「私安倍しちゃおうかな」という言葉が流行っているそうです。
つまりめんどくさくなったら放り出して逃げてしまうという意味です。
今の自民党政権では安倍首相が掲げていた「美しい国」にはほど遠いです。
現実社会は汚職にまみれ、電車への飛び込み自殺者は後を絶たず、線路は血まみれです。
警察署の霊安室は殺人被害者の遺体が次から次へと運び込まれ、空室になる暇がありません。
このような日本の状況を打破していくには、政権交代しかありません。
自民党が繰り返してきたこの擬似的な政権交代に騙されてはならないと、私は強く考えます。